みんなにやさしいまちづくり
大田病院医師 細田悟


 

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なぜ今、ノーマライゼーションなのか?

 みなさんはノーマライゼーションという言葉を耳にされたことはありますか?ヨーロッパ生まれの福祉理念なので適当な日本語訳がみつかりません。テキストでは『共生化』などと訳されていますが、ますますわかりにくくなりそうなので『等しく生きる社会の実現』の方が良いでしょうか。
  ノーマライゼーションの考え方は国際障害者年(1981年)を契機に日本でも広まっていきました。その時のスローガンは「完全参加と平等」でした。ノーマライゼーションの考え方や方向性は単に障害者、高齢者の問題のみならず保健・医療・福祉にかかわる普遍的な原理であると言われています。我が国でも高齢者、障害者、児童、病人など社会的に不利な立場にいる人々への福祉のあり方として重視されてきています。
  しかし政府は総選挙後には「障害者自立支援法」という障害者にとってあまりにも重い負担を強いられる法律を国会に上程することは確実です。憲法第25条で保障された健康で文化的な最低限度の生活がおびやかされようとしています。この希代の悪法を葬り去る運動を大きく広げるためにも、まずは保健・医療・福祉分野における対人援助の基本的視点である、ノーマライゼーションについて理解を深めていきたいと思います。

ノーマライゼーションの考え方が生まれたきっかけ
 ノーマライゼーションの原理は1950年代ごろから北欧ではじまりました。もともとは知的障害を持つ親の会の運動から始まったものです。当時は知的障害者や精神障害の人々はコロニーと呼ばれる大規模収容施設で生活を送っており社会との接点を持つことを断たれ、処遇も虐待の横行など重大な人権侵害が行われていました。
  1959年に親の会の人々の運動が実り、デンマークの知的障害者法において「知的障害者の生活を、可能な限り普通の生活状態に近づけること」と定義されました。その後、ノーマライゼーションの運動は世界的に共感の輪を広げていきましたが、知的障害者から社会的に不利な立場に置かれている人々へと、その対象理解も広がっていきました。

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グループホーム虹の家みちづかは住宅地の中に溶け込んでいます

正常な社会とは
 奥多摩あたりにドライブに行くと、青梅や八王子の郊外で高齢者の施設を多く見かけることがあると思います。以前は、社会的に不利な立場にある人々に対しては、地域や一般社会から分離し、処遇するというのが一般的なやり方でした。つまり高齢者や障害者などは自分が住み慣れた地域社会から切り離されて、施設で処遇を受けるといった具合です。かつてのこのような考え方の背景には、「社会は心身に障害を受けてない人々によって成立している」という理解がみられました。この考え方を進めていくと、要介護状態にある高齢者や障害者が自由に街や地域社会に出られないのは当然であり、人々との交流も少なくて当たり前だということになります。社会的に不利な立場にあったり、介護を必要とする状態にあっても、健常者とともに住み慣れたところで一緒に生活するのが自然だというのが、ノーマライゼーションです。
 人間社会においては、先天的障害、不慮の事故や疾病、加齢に伴うハンディキャップを受けた人が存在することがむしろ自然な状態ですし、そのような人々と一緒に家庭や地域社会で暮らすことこそ正常な社会だと言えます。したがって、ノーマライゼーションが実現された社会とは要介護者や障害者を特別な人間として隔離的に扱うのではなく、家庭や地域社会の中で普通の生活が送れるような仕組みがあり、支援する人々の輪が存在している社会ではないでしょうか。

頭では理解できても実際は?
〜根強く残る『社会防衛的視点』〜

 障害のある人が社会の構成員として、地域の中で共に生活を送れることを目指すというノーマライゼーションの考え方は理解していただけたでしょうか。地域ノーマライゼーションの実現のために、地域福祉の担い手づくりやボランティア団体・個人への助成を行ったり、既存住民組織(町内会・老人会など)との連携を模索している自治体もあります。しかし現実はそうは甘くはありません。犯罪を精神障害者と短絡的に結びつける発想や、地域の中に障害者施設を建設しようとすると、反対運動が起きたりします。これは障害者に社会参加の機会を与えることは、社会の安全を脅かすという、社会防衛的思想に基づくものです。残念ながら、私たちは社会防衛的視点から脱し切れていないのも事実ではないでしょうか。
  社会防衛的視点と同時に障害者は「かわいそう」「気の毒」という憐れみ、同情の障害者観です。障害者を庇護すべき存在ととらえ、優越的な立場から不幸な障害者のために何かをしてあげようとする姿勢です。障害者や家族にとっては決して心地よいものではありません。そして障害者が人間として当然の要求を主張すると「障害者のくせに」という態度に変わりやすい傾向にあります。この2つの障害者観は、障害者を障害のない人とは異なった特別の存在として見る点では共通しており、社会の中にある心の壁そのものと言えます。今日、普通の考え方として定着しつつあるのは、障害者は障害のない人と同じ欲求・権利を持つ人間であり、社会の中で共に生活していく仲間であるという障害者観であるということを、再度強調したいと思います。

みんなにやさしいまちづくりをめざして
 城南保健生協が運営している認知症のグループホーム虹の家「みちづか」は設立の過程で、町内会の方々と話し合いを持ち、みちづかは町内会にも加入しています。去年のクリスマスの時は、ご近所の方が愛犬にサンタの服を着せてみちづかを訪問してくれ、入居者は大変喜んだものでした。実は今回の内容は城南保健生協が主催するホームヘルパー養成講座でお話ししたことをまとめたものです。
  仮にホームヘルパーにならなくても、障害者・高齢者福祉のことを学んだホームヘルパー養成講座の修了生があなたの住む町にたくさんいることが、ハンディキャップを受けている人と健常者が共に暮らせるまちづくりに取り組む土台となるのではないでしょうか。次回は特に誤解されやすい、いくつかの疾病についてお話することによって、より理解を深めていきたいと思います。

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